全島避難から2年間が経過して

 全島避難から2年間が経過するにあたりまして、一つの節目として、大変お世話になりました各関係機関並びに全国の皆様と三宅村民に対しまして、メッセージを送らせていただきます。
 忘れもしない、平成12年9月2日三宅島始まって以来の「全島民島外避難指示」を発令し、誰しも予想しなかった、長い避難生活が、丸2年を経過いたしました。
 この間、今日まで三宅村を支えていただきました国及び東京都並びに各関係機関、更には全国の皆様にこの場をお借りいたしまして、衷心より感謝とお礼を申し上げます。
 平成12年6月26日に端を発した群発地震、安全宣言も束の間、大小の噴火、降灰、噴石、火砕流、泥流、火山ガスと世界的にも例を見ない、一連の火山活動に我々三宅島民は、戸惑いと不安に慄いてきたところです。特に、これまで経験したことのない泥流や火山ガスの恐怖は、言葉にならない未曾有のものでした。
 しかしながら、国及び東京都はもとより、多くの各関係機関のご尽力により、全島避難をはじめ、現地ライフラインの確保など、迅速かつ適切に対応して頂いたことには、ただただ感謝申し上げるばかりでございます。
 全島民島外避難以降ホテルシップでのライフライン等応急復旧、神津島に現地対策本部を移動しての災害復旧工事、三宅島での夜間常駐、そして村民が待ちに待った一時帰宅。長くて遠い道のりではございましたが、一歩一歩着実に帰島に向けて進んでまいりました。
 一方、避難生活は、戦時中の疎開と昭和37年の噴火時での学童疎開経験があるものの、全島民避難ははじめてのことで、右往左往の連続で、多くの機関や関係者に大変ご迷惑をおかけいたしました。
 避難生活は言葉に表せない苦しさや寂しさがございましたが、全国の皆様より物心両面のご支援、そして、季節ごとのイベントなどへのご招待が、なによりも避難生活の大きな支えになっております。
 火山性ガスの放出が続いておりますが、村としましては、「帰島」を前提に復興計画や帰島計画の策定に取り組んでおり、道路や水道の整備も進めております。また、7月5日付で活動火山対策特別措置法が適用になり、滞在型一時帰宅を可能にするため、300人を収容できる脱硫装置付避難施設の整備も進めております。
 なお、帰島の時期は未だ明確に予測できない状況ですが、火山ガスがどのような状態になれば、帰島が可能になるかということについて、国や東京都の協力のもとに科学的、専門的な検討を早急に進めていく予定でございます。
 これからも、当分の間は現在のように厳しい日々が続くものと考えなければなりませんが、帰島できるまで私どもは村民と共に努力して行く所存でございますので、今後とも、関係機関の皆様の変わらぬご理解とご協力をお願いいたします。
 村民の皆さんには厳しい避難生活ではありますが、私達行政も皆さんと気持ちは一緒で、一日でも早い帰島を願っております。様々な課題は山積しておりますが、その一つひとつを国や東京都のご協力を頂きながら、解決して行くと共に、脆弱な財政ではございますが、村単独でも、出来る事業については、前向きに取り組んでまいりたいと考えております。
 これからも苦しい日々は続くと思いますが、今こそ三宅村民が一丸となって、ふるさと三宅島を蘇えらせ、後世に引き継ぐことが、私達に課せられた大きな使命ではないでしょうか。
 私は、一日でも早い「帰島そして再生」を、第一目標として全力で取り組んでまいりますので、村民の皆さんの変わらぬご支援とご協力を、重ねてお願いいたします。
 最後になりますが、報道機関の皆様には、この度の噴火災害に対しまして、今日までご理解とご支援、ご協力を頂いてまいりました。
 また、本日の会見もご快諾いただきましたことと併せまして、厚く御礼申し上げます。今後ともご指導ご協力をお願いいたしまして、私のメッセージといたします。

 

        平成14年9月2日

         東京都三宅島三宅村長   長谷川 鴻